ATERA PEOPLE 08

大屋旅館 川﨑朋子さん
昔から変わらずにそこにあるも

小江戸情緒漂う房総の老舗旅館

大多喜城藩主・本多忠勝が治めた十万石の城下町・大多喜。「城下町通り」と呼ばれる町のメインストリートには、江戸時代後期に創業した「大屋旅館」が建つ。明治・大正・昭和・平成の時代を経て今なお当時のままの面影を色濃く残す母屋は、歴史の重みを感じさせる重厚な佇まいが印象的だ。
今、訪れる旅客を迎えるのは、6代目の女将・川﨑朋子さん。経営や接客のみならず自ら台所にも立ち、宿を切り盛りしている。



建具の細工に日本の技術を見る

瓦葺切妻屋根の木造2階建て。通りに面したガラスの引き戸部分が玄関口だ。年月にいぶされたかのような木肌の濃い茶色が、なんともいえない風情をたたえている。2階の雨戸を開けると、表通りに面した長い廊下に沿って細工を施された障子が並ぶ。
「職人さんが建具を見に来ることもありますよ。障子の細工部分に全部面取りがしてあるんです。角が直角ではなくて、斜めにおとしてある。だからホコリがたまりにくくて、ついてもとりやすい。掃除はラクですね。こういう昔ながらの職人さんの仕事は、今はなかなか見られないものかもしれないと思います」
玄関を入ると目の前には、まるで100年前にタイムスリップしたかのような純和風の空間が広がる。土間には丁寧に使い込まれた大きな木製の下駄箱。ほかにも小座布団が置かれた縁台や、一服するための台座、長火鉢、電話室などがある。いずれも今ではなかなか見ることのできない、昔懐かしい日本の暮らしの一場面だ。





48畳の大広間、今と昔

靴を脱ぎ、板張りの廊下を奥へ進む。4室に区切ることもできる48畳の大広間は圧巻だ。ここではかつて、盛んに婚礼の宴が開かれていた。朋子さんの幼い頃の記憶には当時見た花嫁の姿が今も残っているという。
「隣にある夷隅神社で結婚式を挙げてから、うちで披露宴を開くんです。ここで結婚して、今もこの辺りに住んでいるご夫婦もたくさんいますよ。廊下を歩いていく花嫁さんをチラッと見かけたりすることがあったんですけど、それが子供心にもきれいで、見とれましたね」
現在は披露宴はほとんどなくなり、宴会や法事などの利用がメインになった。床の間には今朝活けられたばかりの季節の花。室内には日本画の掛け軸や日本人形が飾られているほか、襖にも一枚一枚異なる絵が描かれており、すみずみまで眺めるだけでも楽しい。





大正ロマンを感じる風呂でゆったり

旅の疲れを癒す浴場も、古き良き日本の面影を色濃く残している。たとえば脱衣所にある手洗い場。アンティークタイルのきめ細やかな質感や、空間全体で統一された鮮やかなエメラルドグリーンの色使い、「水」「湯」と表記されたプレートとそれぞれの蛇口など、昔ながらの味わい深い雰囲気を堪能することができる。
「今は水道に変わりましたけど、この辺りって昔は温泉が出てたんですよ。赤茶色の鉱泉で、それを沸かしてお風呂に使っていました。大正ロマンっていうんですかね、モダンな洋風の木製扉や窓枠は当時流行していたものなんです」
坪庭を眺めながらゆったりと湯につかったら、マッサージ椅子で全身のコリをほぐして、廊下の椅子で冷えたビール、がおすすめのコース。浴室は大小ふたつあり、気分で選べるのもうれしい。





大屋旅館の今とこれから

現在、宿泊客は東京、神奈川など関東近県がメインだという。毎年決まった時期に訪れる常連のビジネス客はそのうちのおよそ半分。外国人や、幼い子どもを連れた家族連れもいる。個室は6部屋、最大で25人が宿泊できる。
かつて俳人・正岡子規や漫画家・つげ義春ら名だたる作家たちが宿泊したこともあり、大屋旅館には撮影依頼やファンによる聖地詣でも多い。近隣に10軒以上もあったという宿が次々と閉店していくなかで最後に残った1軒として歴史を重ねてきたこの場所を、どうやったら未来につないでいけるのか。これからの課題だ。



構えず、気軽に、自然に、残したい

平成11年7月に国の登録有形文化財の指定を受けた。「登録有形文化財」とは、建築史上重要な建造物を保護するために作られた制度のこと。重要文化財よりもゆるやかな規制のもとに、より幅広い物件をカバーしている。
「町の推薦もあって、先代の父が決めました。『あまり構えず、気軽に、でもちゃんと次に残そう』という気持ちだったと思います。昔の旅館の風情ってね、なかなか今は見られなくなっちゃったじゃないですか。ここには、今にはないものがある。昔から変わらないものがある。それを次の世代の子どもたちも自然に感じてくれたらいいんじゃないですか」
表通りからは見ることのできない日本庭園にたっぷりと日差しが降り注ぐ午後。鳥たちが赤い実をついばみにきている。前掛けの紐を結び直して、朋子さんは小走りで台所に向かった。そろそろやってくる今夜の宿泊客を迎える準備をするために。

川﨑朋子

生まれも育ちも大多喜、大屋旅館の6代目。部屋ごとに特徴の異なる個室はすべて和室で6部屋あり、素泊まり、朝食付き宿泊、二食付き宿泊、法事、宴会、団体での昼食利用など、幅広く利用できる。地元野菜と房総の海の幸を味わえる料理も人気。
http://www.geocities.jp/oyagh_2020/

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