ATERA PEOPLE 05

いすみ鉄道デンタルサポート大多喜駅 
人と時、地をつないで今日も走る

始まりの頃は人が客車を押していた
 

日本で最初に鉄道路線が開通したのは1872年10月のことだ。蒸気機関車は時速32.8キロで走る。新橋駅と横浜駅を53分で結んだ。
それから40年後。千葉県営人車軌道線が大原から大多喜まで開通した。現在のデンタルサポート大多喜駅の歴史はこのとき始まっている。
人車軌道とは人が客車や貨車を押す鉄道だ。明治から大正にかけて日本中に存在した。何しろ設備が簡単で費用がかからない。一方で輸送力が低く、速度でも劣る。動力を蒸気機関車などに変更して生き延びた線もあるが、昭和30年代にはほぼ姿を消していった。





田園を走る列車の風景が大多喜へ

県営人車軌道線の後身・夷隅軌道も例外ではなかった。「国鉄木原線」の敷設に伴い、あえなく廃止される。30年に大原─大多喜間が開通。34年には上総中野まで延伸し、現在の姿になった。
木原線はもともと22年に木更津─大原間を結ぶ路線として計画された。「木原」の名前はここから来ている。だが、計画が実現することはなかった。木更津側は36年、木更津─上総亀山間が開通。現在のJR東日本久留里線である。上総中野から上総亀山までの間は「未成区間」。計画はあったものの、実際に線路は敷かれなかった区間ということだ。
夷隅軌道は慢性的な経営難だった。木原線の建設費は当時の鉄道省が負担する。営業赤字となれば、これも鉄道省、つまり政府の丸抱えである。地元は積極的に役所への陳情を行っている。
ともあれ、こうして「田園を走る列車の風景」が大多喜にもたらされた。千葉県の町村では最も大きな面積を持つ大多喜町。その7割を占める森林や田畑で構成される景観に鉄道はよく似合う。
鉄道は環境への負荷が低い割に、大量輸送が可能で定時運行を維持しやすい。いすみ鉄道は今も大多喜高校の生徒を中心に沿線住民の足であり続けている。

大多喜駅は今も「町の玄関」

さて、大多喜駅だ。大型のショッピングセンターが立ち並ぶ大多喜街道沿いに自動車で繰り出す。住民の暮し向きがそちらに移って久しい。だが、今も大多喜駅は「町の玄関」。そんな風格を漂わせている。
大多喜駅はいすみ鉄道でただ一つの「有人駅」である。
現在の駅舎のモチーフはは大多喜城。すぐ側にはガス採掘発祥の地の記念ガス灯もある。この二つを選定理由として98年には「関東の駅百選」にも選ばれた。
駅舎内では名物「い鉄揚げ」や「キハカレー」「房総のけむり饅頭」などのグッズを販売する直営店が営業中。駅前では観光拠点である「観光本陣」が乗降客を迎えてくれる。手荷物も預ってくれるし、レンタサイクルや人力車の利用も可能。
同じく駅前にある大手門をくぐれば、大多喜城までは15分ほどだ。やはり、大多喜の町とあいさつを交わす場所はここだろう。
いすみ鉄道は上総中野駅から大原駅までの26.8キロ、全14駅を各駅停車58分で結ぶ。上総中野駅では小湊鐵道線と接続。JR内房線の五井駅まで走る事実上の「房総半島横断鉄道」としても機能している。







国鉄志望だった公募社長の手腕

大多喜駅といえば、いすみ鉄道の本社もここにある。1987年7月7日、七夕の日に開業。赤字路線として廃止の対象となった木原線の運営を引き継いだ第三セクター方式の鉄道会社だ。株主には千葉県、大多喜町、いすみ市、小湊鉄道、千葉銀行が名を連ねている。
現在の社長は鳥塚亮さん。2009年、公募に応じた123人の中から内定を勝ち取った。元ブリティッシュ・エアウェイズ旅客運行部長。もともと国鉄志望だった。
「訓練費用自己負担運転士」募集、ムーミン列車、グルメ列車、い鉄揚げ、房総ゆけむり饅頭、鉄道名・駅名の命名権販売──鳥塚社長はさまざまな新機軸を打ち出す。『いすみ鉄道公募社長 ─ 危機を乗り越える夢と戦略』『ローカル線で地域を元気にする方法 ─ いすみ鉄道公募社長の昭和式ビジネス論』と2冊の本も著した。ローカル鉄道を足場に地域を再生する経営者として注目を集めている。



キハでつながった全国の鉄道ファン

鳥塚さんの功績の一つが「キハ52」「キハ28」系の車両を導入したことだ。今では「キハ58」系も走っている。どちらもふた昔ほど前までは日本中で当たり前に目にした車両。だが、今では希少価値を生んでいる。
住民の移動の足として土地と土地をつなぐ。鉄道とともに続いてきた町の歴史をつなぐ。大多喜駅といすみ鉄道はさまざまなものをつなぐ役割を果たしてきた。
キハの登場によって今度は全国から鉄道ファンを引きつける。新たなつながりの始まりだ。
鉄道の魅力に吸い寄せられ、大多喜の地を訪れた彼らが目にするものは何か。沿線を彩る四季の移ろい。比類のないそのたたずまいである。
春には桜と菜の花が一度に楽しめる。夏には緑の田んぼが目に鮮やか。秋の紅葉は町外から多くの人を呼び寄せる。芽吹きを待つ冬の間にさえ、草木は何かを語りかけてくれる。
いすみ鉄道はそうした季節の変わり目もつなぎながら走り続けてきた。

世紀をまたいで地域を見つめる

必ずしもダイヤを暗記しているわけではない。だが、車両の走る姿、音は目や耳が覚えている。多くの住民にとって、いすみ鉄道はそんな存在ではないか。「鉄道のある暮らし」を営む地域のありようを大多喜駅は世紀をまたいで見つめてきた。
大多喜で生まれ育った人、高校や大学で大多喜に通った人。今は町を離れた人たちの目や耳にも鉄道のある風景の思い出は残っていることだろう。
そうした人たちをまた大多喜に誘う力も、鉄道にはおそらく備わっている。キハが全国からファンを呼び寄せたように、大多喜駅がゆかりの人たちに手招きする。郷里を思う心もつないでいるのだろう。
線路は続く。どこまでも続く。人は集まり散じながら、大多喜の歴史は刻まれていく。
かつて鉄路は文明開化の象徴だった。モータリゼーションを経て、いつしか従来の役目を終えていく。そして今、田園風景とともにある鉄の道は語りかける。新しい価値とまだ見ぬ未来について。
走り続けることは易しくはない。ただ、確かで尊く、何より楽しい。

いすみ鉄道デンタルサポート大多喜駅

1912年設置。2009年、命名権売却にともない、「デンタルサポート大多喜駅」に。周辺には、総南博物館(大多喜城)や、大多喜ハーブガーデンなどの観光地がある。休日には県内外から多くの観光客が訪れる。乗降客数は大原駅と並んで沿線で最大級。

TOP